東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)174号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告ら主張の審決の取消事由の当否を検討する。
1 成立に争いない甲第二号証(願書添付の明細書)、第三号証(昭和五三年三月六日付け手続補正書)、第四号証(昭和五六年一二月二六日付け手続補正書)及び第五号証(昭和五七年一〇月八日付け手続補正書)によれば、本願発明は左記のような技術的課題(目的)、構成及び作用効果を有するものと認められる(別紙図面一参照)。
(一) 技術的課題(目的)
本願発明は、自己発光しない物体をコヒーレントな光で観察するための光学的照明装置に関する(明細書第三頁第六行ないし第一一行)。
物体の映像のコントラストは、光学系の特性、及び、照明光のコヒーレンス度の両者によつて決定される(同第三頁第一二行ないし第一五行)。コヒーレントな照明の場合には映像のコントラストは物体のコントラストに近似するが、コヒーレントでない照明の場合には(収差を完全に補正した光学系を用いても)すべての周波数において伝達関数の大きさが一定にはならない。そして、映像のコントラストは常に物体のコントラストより低いから、最低のコントラストしか有しない物体の場合には、物体の細部が映像から消失してしまう(同第四頁第四行ないし第一四行)。
物体のあらゆる点を、すべての側からコヒーレントな光で照明することによつて、映像のコントラストの低下を防ぐことは可能であるが、現在のところそのような照明装置は存在しない(同第四頁第一四行ないし第一九行)。
最高のコヒーレンス度で照明を行う場合には、光学装置は、物体が点光源によつて照明されているかのように(すなわち、物体が単一の光波によつて照明されているかのように)物体を照明する(同第六頁第一二行ないし第一六行)。光のコヒーレンス度は、その照明効果が理想的な光源(すなわち、単一光波を用いる光源)の照明効果に近似する程度によつて決定される。しかしながら、従来の照明装置では、装置の光出口のあらゆる点から出た光エネルギを物体のあらゆる点へ伝達して、すべての側から照明することはできない(第七頁第六行ないし第一四行)。光エネルギを運ぶ光波が、等しい波長と一定の位相差を有する場合には、物体のあらゆる点をすべての側からコヒーレントに照明できるが(これは、照明される物体のあらゆる点に到達し得る光波が存在することと同義である。)、実際の物体は無限に多くの点を有するから、照明装置の光出口のあらゆる点から出た光エネルギを物体のあらゆる点まで伝達する、無限数の光波が存在しなければならないことになる(同第七頁第一四行ないし第八頁第二行)。点光源から単一の光波のみが照射される場合は、入射波の波面の一点から物体のあらゆる点へ光エネルギが伝達されることにはなるが、そのようにしたのでは、物体のあらゆる点をすべての側から照明することは不可能になつてしまう。要するに、全面照明のためには、有限の直線寸法を有する光源が必要なのである。従来のコヒーレント光源は、直線寸法を有しない点光源(あるいは、点光源に等しい光源)であるから、物体のあらゆる点をすべての側からコヒーレントに照明することはできなかつたのである(同第八頁第一五行ないし第九頁第五行)。
本願発明の目的は、空間的に広がつているコヒーレント光源の照明効果と同等の照明効果を与える照明装置を提供して、有限寸法の物体のあらゆる点をすべての側からコヒーレントに照明することができるようにし、コヒーレント光源の利用率を高めることに存する(同第九頁第六行ないし第一四行、昭和五六年一二月二六日付け手続補正書第四頁第八行及び第九行)。
(二) 構成
右課題を解決するため、本願発明はその要旨とする構成を採用したものである(昭和五七年一〇月八日付け手続補正書第二頁第二行ないし第一五行)。
本願発明の構成を実施例によつて説明すると(別紙図面一参照)、図1において、1は平行かつコヒーレントな光ビーム2を照射するレーザであり、光ビーム2の光路を横切つて、光ビーム2を相互にある角度をなして進む無限数の平行ビーム3に変換するための装置が配置される(明細書第一一頁第一八行ないし第一二頁第四行)。平行ビーム3は、変換装置から無限遠の平面にフラウンホーフア回折パターンを作り、それによつて無限遠の平面に置かれた物体5を、ある範囲内において、すべての方向からコヒーレントな光で照明する(昭和五七年一〇月八日付け手続補正書第四頁第一二行ないし第一八行)。変換装置は、少なくとも二枚のレンズによつて構成され、各レンズの光軸の間の角度は〇度~九〇度であつて、両凸面状のスクリーンを形成する。これらのレンズ相互間の空間的な配置と、形及び数は任意である(実施例においては、同一の「平―凸レンズ」4群を、凸面の頂点が一平面内に含まれる屈折面となるように隣接して配置し、光軸間の角度は〇度にしてある。明細書第一二頁第八行ないし第二〇行)。
レーザ1から照射された平行かつコヒーレントな光ビーム2は、レンズ4によつて構成されているレンズ板に入射し(同第一四頁第一八行ないし第二〇行)、単一の平面波がレンズ板を透過した後は、無限数のエネルギ搬送平面波が伝播することになるが(同第一八頁第一行ないし第三行)、これは、立体角を埋める無限数の平行な光ビームと等しいものである(同第一八頁第六行ないし第九行)。
したがつて、平行光ビーム2を照射するレーザ1とレンズ板とを有する照明装置の照明効果は、無限遠にある光源による照明効果と同一といい得る。そして、一つの光波から形成された多数の光波の位相の時間差は一定であるから、これをフラウンホーフア回折領域において使用する本願発明の照明装置は、直線状に延びるコヒーレントな光源に等しいことになる(同第一八頁第一〇行ないし第一六行、昭和五六年一二月二六日付け手続補正書第四頁第二〇行ないし第五頁第三行)。
(三) 作用効果
本願発明の照明装置は、観察すべき物体のあらゆる点をすべての側から照明できるから、照明装置の開口面積を増すことなしに、コントラストが低い物体についても高品質の映像を得ることができ、光学的分析機器の測光特性を高めることが可能となる。すなわち、本願発明の照明装置は、顕微鏡、写真電信機、光学的読取器、光コンピユータ、写真機、映写機など、コヒーレントな照明を必要とする各種の映像発生光学機器に、それらの基本設計やパラメータを変更することなく装着でき、それらの機器の特性を向上させ得るものである(実験結果によれば、コヒーレントでない光によつて照明した場合は僅か〇・二であつた物体の映像のコントラストを、〇・五にすることができた。明細書第一一頁第三行ないし第一七行、第二二頁第一六行ないし第二三頁第一〇行)。
2 一方、引用例に審決認定の技術的事項が記載されており、本願発明と引用例記載の発明が審決認定の二点において相違することは、原告も認めて争わないところである。
しかしながら、原告らは、審決は引用例に記載されている技術内容を誤認していると主張するので検討するに、成立に争いない甲第六号証によれば、引用例記載の発明の技術内容は左記のとおりであると認められる(別紙図面二参照)。すなわち、
引用例記載の発明は、映像投影装置に使用する集光装置に関するものであつて(第一欄第九行及び第一〇行)、大きな輝度を有する光源から放射される光は輝度が不均一であるが、これによつて被投影物に均一な光を照射するために、光源と投影面との間に同軸状に配設された一対の板状のレンテイキユラレンズを有するタイプの集光装置(例えばアメリカ合衆国特許第二一八六一二三号)が慣用されているところ(第一欄第一六行ないし第二三行、第三八行ないし第四一行)、このような集光装置の照射光は輝度が均一であるが広がりの角度が不均一であるとの欠点を有し、照射光の入射角によつて変調されるタイプの投影装置(例えばアメリカ合衆国特許出願第二二二八四四号)において光の広がりの角度が不均一であると映像が暗くなる(第一欄第四二行ないし第五一行)との知見に基づいて、光の変調が被投影物に対する入射角の関数として行われる投影装置において、一対のレンテイキユラレンズが均一な輝度及び均一な広がりの角度を有する光を被投影物に照射し得るようにすることを技術的課題とする(第一欄第五四行ないし第六一行)。右課題を解決するために、引用例記載の発明は、レンテイキユラ形かつ板状の第一レンズ及び第二レンズを光源と被投影物との間に配設し(両レンズは、光学軸線方向に離間すると共に、同軸状に位置決めされる。)、レンテイキユラ形第二レンズと被投影物との間に、大きな光線束透過部分を有する収束レンズを組み合わせたものである(第二欄第五行ないし第一一行)。そして、レンテイキユラ形第一レンズが、光源から入射する光線束を収束し(その収束方向は、レンテイキユラ形第一レンズの部分レンズから、それらに対応するレンテイキユラ形第二レンズの部分レンズの光線束の透過部分に向かう方向である。)、レンテイキユラ形第二レンズの部分レンズが、それぞれ光線束をアレー形に発散すると共に、各光線束を収束レンズの異なる部分に入射し、収束レンズが、各光線束を収束の主軸線に沿う平行光線束に変換したうえ、それらを被投影物に重ねるように照射することによつて、広がりの角度を均一に限定した光線束を被投影物に照射する(第二欄第一一行ないし第二二行)。その結果、被投影物の周辺部を照射する光線の広がりの角度、及び、被投影物全体を照射する光線の広がりの角度を、必要に応じて均一に拡大することができるのみならず、光線束の広がりの角度を、各種の技法(例えば、度の弱い収束レンズ)を用いて、より限定することも可能であるとの作用効果を奏するものである(第三欄第七一行ないし第四欄第三行)。
3 そうすると、本願発明と引用例記載の発明は、いずれも、単一光源から放射される光ビームを分割して多数の点光源の固まりを形成し、それぞれの点光源から発散する光ビームによつて物体を照明することを基本原理とする点において共通する構成を採用していることが明らかであり、右構成によつて、物体をある範囲内においてすべての方向から照射するとの作用効果を得ようとする点においても共通するものであると認められる(もつとも、引用例記載の発明は、照射光が輝度は均一でありながらその「広がりの角度」が不均一であることを解決すべき問題点としてとらえ、照射光の「広がりの角度」を調整するために大きな光線束透過部分を有する収束レンズを採用することにより「均一な輝度及び均一な広がり角度を有する平行光線束を用いて被投影物を照射する」(前掲甲第六号証の第四欄第二六行ないし第二八行)ように構成していることは、前記のとおりである。)。
4 相違点<1>の判断について
原告らは、引用例記載の発明は、本願発明のように物体をあらゆる方向から照射することによつて映像のコントラストを向上させることを技術的課題としていないと主張する。しかしながら、本願発明が要旨とする「物体をある範囲内においてすべての方向から照射する」ことと、引用例記載の発明における「均一な広がり角度を有する平行光線束を用いて被投影物を照射する」こととは、技術的に同一の事項にほかならないから、原告らの右主張は失当である。
また、原告らは、引用例記載の発明は収束レンズを必須要件とするものであつて、この点に関する審決の相違点<1>の判断は誤りであると主張する。確かに、引用例にはレンテイキユラ形第二レンズと被投影物との間に収束レンズを配設することが記載されていることは前記のとおりであり、かつ、前掲甲第六号証の第三欄第三一行ないし第四二行によれば、引用例には、収束レンズ7を配設する目的は入射した発散光線束を収束の主軸に沿う平行光線束に変換することにあり、被投影物8は右平行光線束が交差する面に設定されるべきことが記載されていると認められる。しかしながら、一方、前掲甲第二号証によれば、本件願書添付の図面(別紙図面一)の図3には、レンズ4と物体5との間に集束レンズ(以下「収束レンズ」という。)6を配設している点においては引用例記載の発明と全く同一の構成が示されていることが認められる。そして、前掲甲第二号証の明細書第一三頁第六行ないし第一二行、甲第四号証の第四頁第一四行ないし第一九行、及び甲第五号証の第五頁第一行及び第二行によれば、右収束レンズ6の説明として、「万能形のコヒーレントな照明源を得るために、本発明の装置には光ビーム2の光路のレンズ4より成る平凸面板の下流側に、光ビーム2の光路を横切つて配置されるコンデンサを含む。即ち、有限長の距離にある物体5をあるアパーチヤ内で各面ともコヒーレントに照明するためには、コンデンサが必要であり(中略)、かつコンデンサ後方の焦点内に物体5を配置しなければならない。ここで説明している実施例では、コンデンサの機能は収束レンズ6により実行される。そして、この収束レンズ6の後方焦点面に被照明物体5が配置される。」と記載されていることが認められる。右のとおり、本願発明における収束レンズ6は、照明装置を万能形にするために必要なコンデンサとして採用されているにすぎず、発明の構成に必須の要件でないことが明らかである。したがつて、引用例記載の発明が収束レンズを必須要件として構成されていることは事実であるとしても、その基本原理は、前記のとおり、単一光源から放射される光ビームを分割して多数の点光源の固まりを形成し、それぞれの点光源から発散される光ビームによつて物体を照明することに存すると解されるのであつて、少なくとも、引用例記載の発明が収束レンズを必須要件としていることは、引用例の記載に基づいて本願発明の構成を予測することの妨げとはなり得ないというべきである。
なお、原告らは、引用例記載の発明の部分レンズ9の各中心と部分レンズ10の各中心とを結ぶ多数の光軸は相互に平行でなく、部分レンズ10からの光ビームの発散方向もある範囲に制限されざるを得ないから、右光ビームは本願発明が要旨とする「相互にある角度をなして進む無限数の平行なビーム」に該当せず、したがつて、引用例記載の発明においては物体はあらゆる方向から照明されていないと主張する。しかしながら、本願明細書にも、変換装置を構成する各レンズの光軸の間の角度が〇度~九〇度であつて、レンズ相互間の空間的な配置は任意であることが記載されていることは前記のとおりであるから、本願発明のレンズ4あるいは引用例記載の発明のレンテイキユラレンズ9、10の各光軸が相互に平行であるか否か、あるいは、光ビームの発散方向がある範囲に制限されるか否かは、各発明の構成における基本的事項ではなく、照明目的に応じて適宜に決定し得る設計事項にすぎないと考えるべきである。そして、引用例記載の発明においても多数の点光源の固まりが形成され、それぞれの点光源から光ビームが発散されている以上、各光ビームの間に「相互にある角度をなして進む無限数の平行なビーム」が存在することは当然の事項というほかなく、そのような光ビームによつて照明される物体は、ある範囲内においては、あらゆる方向から照明されることになると考えるのが相当である。
以上のとおりであるから、相違点<1>に関する審決の判断に誤りはない。
5 相違点<2>の判断について
原告らは、引用例記載の発明は単なる照明装置に関するものであるから、その光源としてレーザを採用する必然性はないと主張する。
しかしながら、照明装置においてコヒーレントな光で物体を照明することは本件優先権主張日前に周知の技術的課題であり、かつ、レーザによつてコヒーレントな光ビームを照射し得ることも本件優先権主張日前の周知慣用の技術であることは、前記の本願明細書における従来技術の説明からも明らかである。したがつて、映像投影装置に使用すべき集光装置に係る引用例記載の発明の「輝度は大きいが不均一な光を発生する光源」(前掲甲第六号証の第二欄第三六行及び第三七行)に換えて、レーザを光源として採用してみることは、当業者ならば容易に予測し得た事項と認められる。
そして、引用例記載の発明の光源にレーザを採用し、均一な輝度及び均一な広がり角度を有する平行光線束を用いて被投影物を照射するならば、映像のコントラストは当然に向上するものと考えるのが相当であるから、相違点<2>に関する審決の判断にも誤りはない。
6 以上のとおりであるから、本願発明は引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決の認定及び判断は正当であつて、審決に原告ら主張の違法はない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告らの本訴請求は失当であるからこれを棄却することとする。
〔編注1〕本願発明の要旨は左のとおりである。
レーザ1により照射された平行でコヒーレントな光ビーム2の光路を横切つて、その平行でコヒーレントな右光ビーム2を相互にある角度をなして進む無限数の平行なビーム3に変換するための装置を設け、前記光ビーム3は前記変換装置から無限遠の平面に回折パターンを作り、それによつて無限遠の平面に置かれた物体をある範囲内ですべての方向からコヒーレントな光で照射するようにしたことを特徴とするコヒーレント光照明装置(別紙図面一参照)
〔編注2〕本件における図面は左のとおりである。
別紙図面一
<省略>
別紙図面二
<省略>